2015年11月20日金曜日

行為者の視点を含んだ社会的ジレンマの検討

日々に追われて早くも師走がすぐそこだ。書かなくちゃいけない論文も準備しなくちゃいけない資料も山盛りだけど現実逃避ぽく読む。

環境問題等を社会的ジレンマでフレームする研究は多いけど、行為者自身がジレンマとして認識してるのかどうかによって全然話が変わってくるだろうという主張。面白そう。

篠木幹子. (2014). 行為者の視点を含んだ社会的ジレンマの検討. 総合政策研究, 22, 45–56.

環境問題は社会的ジレンマだとフレームして研究する論文はたくさんあるけどそれって研究者がそう理解しているだけで、行為者はそもそも問題をジレンマ状況と認識しているのかどうか怪しい。つまりは、実社会の(ジレンマ問題として定義できる)問題を行為者(当事者)は社会的ジレンマと認識しているのか、またそのうえで協力/非協力を取る人の特徴はなんだ。

山岸他(2002)では実験室環境で実験すると参加者はDCよりもCCを好むゲームとして認識していたと言っているし、Pellikaan(2002)でも面接調査で社会的ジレンマの状況を説明したうえで、TRPSのどの状態を好むか聞くと、R>S>T>PとかR>T>S>Pとかを参加者は好んでいた。これらの研究は山岸他(2002)ではジレンマ構造を備えた実験状況に対して参加者がどのように認知したかを問うており、Pellikaan(2002)はジレンマを了解したうえで協力/非協力のどれを好むかを問うている。海野(2006)は「コスト感」「危機感」「無効感」を対象者が持っているかどうかでごみ問題を社会的ジレンマととらえているかどうかを推定している。これは先駆的であるが、うちらは行為者が「環境問題が社会的ジレンマである」と了解しているのかどうかを問うたうえで、その了解によって行動が異なるのか、また了解の上で協力/非協力となる人たちをあぶりだす。

ごみ問題を対象としてごみの減量行動を問うよ。ごみ分別の制度の違い、都市規模の違いを考えて、仙台、釜石、名古屋、水俣で実施します。1都市1000人で4都市に質問紙調査を実施する(すげー)。郵送して回収は調査者が回収に行く(ひえー)。回答者は家事担当者にしたので85%以上が女性である。

さて、最大の山場である「行為者がごみ問題を社会的ジレンマとして「仮説的に」了解しているのかどうか」の検討である。「ごみ問題が生じるのは,地域社会全体への影響を考 えず自分の都合を優先してごみを捨てる人が多 い」と思うかどうかを聞いてその回答がイエスの人を社会的ジレンマと了解している人たちとする。4都市すべてで90%以上の人たちがイエスであり、多くの人たちにジレンマと了解されていると解釈できる。

いやー、難しいクエスチョンだとは思うんだけど、これは厳しくないかなぁ。今後の課題でもこの点には触れられているけど、この研究のコアだよなぁ。そして9:1のサンプルでこの後分析してくのか。うむ。

さて、協力行動の量については9項目の行動ではかる。すなわち「アルミ缶の分別」「トレー包装野菜の不買」などなど。これが6項目以上イエスだと行動多い群、5項目以下で少ない群にわける。

これも結構微妙かな。節約に関する項目や制度で決められてる分別なんかが一緒に入っている。まあごみ減量行動をどの程度実施しているのかという指標にはなっているのでいいのか。

ということで、社会的ジレンマの認知(Y/N)、行動の多少で4カテゴリになる。これらの人たちが「社会に対する価値観」「規範意識」をどのように持っているかを検討する。

「多くの人は自分のことしか考えていない」については、SD認知+非協力の人たちが高い。
「一人ひとりが社会全体に対する影響を 考慮して行動すべきだ」については、SD認知+協力が高い。
「手間がかかるとしても環境に配慮すべき」 「他者の行動にかかわらず環境に配慮すべき」についてはSD認知+協力が高い。

細かいことだけど、これ一元配置でやっちゃってるけど二要因でやらなくちゃいけないはずだよね。

結論として、社会的ジレンマを認知し協力する人たちは、社会的ジレンマ解決に向けた規範に強くコミットしているので、こうしたところにジレンマ解決の糸口があるのではないか。

リサーチクエスチョン面白いなあ。状況を社会的ジレンマとしてフレームしてるかどうかを含めて分析しなくちゃだめというのは強いメッセージだ。ソーシャルメディア(CGM)のモデル化でもこの視点あったほうがいいだろう。そもそも実験環境ですら山岸他(2002)みたいにジレンマじゃないと認識しているのだし、当事者が状況をどう認識しているかでサンクション制度だって変えていかないと意味ないよな。面白い課題設定で大規模調査やっててすげぇなぁ。勉強になった。

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