2018年3月13日火曜日

第三者を通して行われる衡平性回復行動

Upstream祭り2018。季節に一度の祭りでどうするよ、おれ。いま考えてるUpstream実験とほぼおんなじ設定のようないやな予感。約10年前。ひー。

目の前の仕事から逃げるために読む。

中島誠, & 吉田俊和. (2009). 第三者を通して行われる衡平性回復行動:報酬分配場面における実験研究. 実験社会心理学研究, 48(2), 111–121.

衡平理論というのがあるそうな。人が関係の中で利得の帳尻を合わせて自分の資源を一定に保とうとするということ。たとえばMoschetti & Kues(1978)では他者Aから不当に低い報酬を得た参加者は、続いての状況で他者B(第三者)に対する分配者になったときに自分に過大な報酬を分配するという結果をだしてる。逆に援助や向社会行動も衡平理論の一側面だろう(ん?そうなのか?)。

報酬の分配のレビュー(古川,1988: 田中,1991)では分配行動に与える要因は(1)個人内(2)対人(3)状況(4)文化の4要因で整理している。一方で、Major&Deaux(1982)は分配の個人差を(1)規範(2)対人関係の指向性(3)情報処理過程で説明してる。ここでは規範と公正感に着目する。それぞれ援助規範意識と正当世界信念(Lener,1980)を用いる。正当世界信念(以下BJW)は「正の投入には正の結果が、負の投入には負の結果が得られる」と考える信念。BJWが高い人は不合理に対する怒りを感じにくいという指摘もあるのでこれに倣ってBJWの高い人は不公正な被分配をうけても、第三者には衡平に振舞うだろう。

ということで仮説は三つ。

  1. 人は不衡平には怒り、過大な分配には罪悪感を抱く。また衡平に分配された被分配者は衡平に第三者へ分配し、不衡平な被分配を受けたものはそれを回復するだろう
  2. 規範意識が高いと不衡平分配に対する怒りが強く、過大分配に罪悪感を抱く。また過去に不衡平分配をうけても第三者には衡平に振舞う
  3. BJWが高い人は過小への怒りが少なく過大への罪悪感が小さい(結果を正当と判断する)。また過去に不衡平分配をうけても第三者には衡平に振舞う

実験はペアで簡単な作業をさせた後に報酬を分配する。参加者は必ず被分配側になる。分配者は実験者が用意するサクラで、過小、衡平、過大な分配を受ける人たちにわけられる。この時点で情動を計測。続いて相手を変えて第二回を行うが今度はかならず分配者になる。配分額と情動を計測。ついでにさっきの相手と同一人物だったらいくらにするかを聞く。

情動については、過小で怒り、過大で罪悪感はまあうまくいってる。BJWについては高い人が過大な被分配で罪悪感が小さくなる(正当化している)。

分配額について。規範意識が高い群では過小利得を受けた後の分配額がより衡平であった。過大利得の時には差がない。BJWではこの傾向が見られず(BJWによって行動はかわってない)。

全体として過小利得・過大利得でそれぞれどう振舞うかを分析すると、過大利得に対しては高い第三者への分配を、過小利得に対しては第三者へ低い分配をしている。特にもし同一人物だったらというときにはそれが顕著になる(論文の図、たんぶん逆だな)。

要するに行動レベルでは規範意識は効いているけど、正当世界信念は効いてなかったと。一方で実験やって情動をとってるので、情動レベルではちゃんと反応しているようだ。あと過大利得を受けた後に過大に分配するというUpstreamはみられなかった、と。あれ、これはどうやって測ってるんだ。ちょっとわからなかった。

いやぁ。やっぱり似たことをすでに思いついている人はいるもんだ。勉強になった。

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