2018年3月15日木曜日

日常生活における第三者を介した資源の衡平性回復行動

祭りじゃ祭りじゃ現実逃避祭りじゃ。沖縄にいるあいだに絶対完成させなくちゃいけないのに。。。

Upstream祭り2018その2。中島・吉田(2009)と同じ著者の1年前の論文。2009年は経済実験でやってるけどこちらは日常生活のシナリオ実験。

中島誠 & 吉田俊和. 日常生活における第三者を介した資源の衡平性回復行動. 社会心理学研究 24, 98-107 (2008).

イントロはざっくりと。衡平理論(人が関係の中で利得の帳尻を合わせて自分の資源を一定に保とうとする)は負の方向(搾取されたら第三者からの搾取をおこないやすい)を強く予測するが、正の方向には起こりにくいと予想する(自己利益最大化になるので効果が弱い)。

でも実際には正の提供行動の連鎖は起こっている。多くは間接互恵などの枠組みで説明されているが衡平理論で説明したのは少ない(そりゃそうだ)。本研究ではこれにチャレンジする。さらにこれまでは金銭的な交換における衡平理論の検証が多かったけどここでは日常における非金銭的な交換について着目する。

仮説行きます。

1.不衡平(過小/過大)な分配をうけると怒り/罪悪感を感じ、続いての第三者への分配で過小/過大な分配をして衡平を回復する
2.過大な分配を受けた後では、金銭的な分配よりも援助的な分配のほうがおおくおこわなれる
3.第三者への衡平性回復は、直接返報の時よりも弱い

シナリオは場面想定で「店を出ようとしたら傘を誰かが持って行ってしまった。おっとそこに傘がある。持っていくか?(過小)」「店を出ようとしたら雨が降ってきて傘がない。すると誰かが傘二本あるからどうぞと貸してくれた。その後、誰かが雨宿りしてた。自分は二本持ってる。差し出すか?(過大)」(こ、これちゃんと目的に合致した操作になってるのか?特に自分が傘を持ってくの衡平性の回復になるのだろうか)。

金銭のほうは「同じ労働をして相手に分配権がある。そして相手が2000/3000で分配した(過小)、もしくは3000/2000で分配した(過大)。次にあなたに分配権がある。どのように分配するか?」(これは次の論文の実験で綺麗に経済実験に拡張されている)。

金額場面では仮説は基本的に支持されているが、傘場面では微妙。やっぱり傘場面は無理があるのではなかろうか。仮説2の二つの場面の比較もちょっと厳しそう。これは金銭と援助の差とは言えないような。

あと傘場面で、搾取されたほう(過小)が援助を受けた時(過大)より第三者への提供意図が高くなっている。なんで?と思ったけど搾取場面では、第三者へ提供するかどうかではなくて第三者の傘を搾取するかどうかを逆転して提供意図得点にしてるのか。だから搾取場面での提供意図が高いと(つまり搾取されても盗まないよということ)。いやー、うー。やっぱり無理がないかな。

金銭場面は次の実験とも綺麗につながってるけど日常生活場面の設定は無理があるような気がする。

そして、この時点では正当世界信念は使ってないのか。むしろ使ったら傘場面面白いかもしれないのに。

2018年3月13日火曜日

第三者を通して行われる衡平性回復行動

Upstream祭り2018。季節に一度の祭りでどうするよ、おれ。いま考えてるUpstream実験とほぼおんなじ設定のようないやな予感。約10年前。ひー。

目の前の仕事から逃げるために読む。

中島誠, & 吉田俊和. (2009). 第三者を通して行われる衡平性回復行動:報酬分配場面における実験研究. 実験社会心理学研究, 48(2), 111–121.

衡平理論というのがあるそうな。人が関係の中で利得の帳尻を合わせて自分の資源を一定に保とうとするということ。たとえばMoschetti & Kues(1978)では他者Aから不当に低い報酬を得た参加者は、続いての状況で他者B(第三者)に対する分配者になったときに自分に過大な報酬を分配するという結果をだしてる。逆に援助や向社会行動も衡平理論の一側面だろう(ん?そうなのか?)。

報酬の分配のレビュー(古川,1988: 田中,1991)では分配行動に与える要因は(1)個人内(2)対人(3)状況(4)文化の4要因で整理している。一方で、Major&Deaux(1982)は分配の個人差を(1)規範(2)対人関係の指向性(3)情報処理過程で説明してる。ここでは規範と公正感に着目する。それぞれ援助規範意識と正当世界信念(Lener,1980)を用いる。正当世界信念(以下BJW)は「正の投入には正の結果が、負の投入には負の結果が得られる」と考える信念。BJWが高い人は不合理に対する怒りを感じにくいという指摘もあるのでこれに倣ってBJWの高い人は不公正な被分配をうけても、第三者には衡平に振舞うだろう。

ということで仮説は三つ。

  1. 人は不衡平には怒り、過大な分配には罪悪感を抱く。また衡平に分配された被分配者は衡平に第三者へ分配し、不衡平な被分配を受けたものはそれを回復するだろう
  2. 規範意識が高いと不衡平分配に対する怒りが強く、過大分配に罪悪感を抱く。また過去に不衡平分配をうけても第三者には衡平に振舞う
  3. BJWが高い人は過小への怒りが少なく過大への罪悪感が小さい(結果を正当と判断する)。また過去に不衡平分配をうけても第三者には衡平に振舞う

実験はペアで簡単な作業をさせた後に報酬を分配する。参加者は必ず被分配側になる。分配者は実験者が用意するサクラで、過小、衡平、過大な分配を受ける人たちにわけられる。この時点で情動を計測。続いて相手を変えて第二回を行うが今度はかならず分配者になる。配分額と情動を計測。ついでにさっきの相手と同一人物だったらいくらにするかを聞く。

情動については、過小で怒り、過大で罪悪感はまあうまくいってる。BJWについては高い人が過大な被分配で罪悪感が小さくなる(正当化している)。

分配額について。規範意識が高い群では過小利得を受けた後の分配額がより衡平であった。過大利得の時には差がない。BJWではこの傾向が見られず(BJWによって行動はかわってない)。

全体として過小利得・過大利得でそれぞれどう振舞うかを分析すると、過大利得に対しては高い第三者への分配を、過小利得に対しては第三者へ低い分配をしている。特にもし同一人物だったらというときにはそれが顕著になる(論文の図、たんぶん逆だな)。

要するに行動レベルでは規範意識は効いているけど、正当世界信念は効いてなかったと。一方で実験やって情動をとってるので、情動レベルではちゃんと反応しているようだ。あと過大利得を受けた後に過大に分配するというUpstreamはみられなかった、と。あれ、これはどうやって測ってるんだ。ちょっとわからなかった。

いやぁ。やっぱり似たことをすでに思いついている人はいるもんだ。勉強になった。